土佐紀行 車による弾丸ツアー1743kmの旅

南国土佐紀行 車による弾丸ツアー1743kmの旅

 

2023年 6月21日 投稿

1日目 3月10日 淡路島経由の移動と仁淀川町長への表敬訪問

3月10日(金)〜12日(日)に四国高知県仁淀川町の「武田勝頼土佐の会」
による後援会参加と史跡巡りのため車による弾丸ツアーを実施しました。

 

今回のブログは、この1日目の旅の様子について報告致します。

 

2日目の「武田勝頼土佐の会」による後援会参加と史跡巡りについては
明日3月15日に報告致します。

 

今回のメンバーは大月の歴史研究会・小山田信茂公顕彰会の役員5名
(会長1名+副会長3名+ブログ作成担当の小生)と大月曹洞宗威徳寺
御住職1名の計6名です。

 

車は小生のプリウスα7人乗り、行きが11時間、帰りが12時間30分。

 

車内は荷物がいっぱいのため寿司詰め状態でした。

 

メンバーのお歳は小生が最年少の若手です(笑)。

 

それでも皆様、3日間元気元気!

 

超長時間でしたが、車内は和気あいあいの笑いが絶えない楽しい時間でした。

 

3月10日(金)

 

 

朝3時50分、会長宅を出発。

 

皆さんやる気満々で元気いっぱい!

 

大月インターチェンジ→中央高速富士吉田線→東富士五湖道路で御殿場へ

 

更に新東名→新名神と進みます。

 

トイレ休憩をするも、ほとんどノンストップで名古屋を通過して三重県に
入って朝食。

 

汁がほとんどない伊勢うどんを小生推奨(伊勢神宮に行った時に食べた)。
食感と共に薄醤油味が最高!
最初、量は少なく感じたが食べていると湧いてくる感じ。

 

皆さん、十分満足していただいて淡路島に向けて出発。
ここで運転手交代。

 

新名神をひたすら明石へ。途中渋滞するも無事明石着。

 

そして神戸淡路鳴門自動車道へ左に旋回していよいよ明石海峡大橋。

 

高い高い橋柱がすごい迫力。近代的な吊り橋であり形が美しい。

 

あっという間に橋を通過して淡路島を縦断。

 

淡路島は大き過ぎて島というより内陸を走っている感じ。

 

瀬戸内海では最大面積の島で人口は離島の中では最も多い約13万人ですって。
なんと大月市の5倍です。

 

約50km約30分淡路島の堪能しました。

 

そして、ついに大鳴戸橋を渡ります。
下を見るとなんとなく渦潮があります。

 

一気に渡り切ってついに四国に上陸!

 

ここで鳴戸海峡が見下ろせる公園で休憩。
絶景かな絶景!

 

 

後、一気に徳島を横断し、讃岐うどんを堪能。
やっぱ超美味。
のど越しが違いますね。

 

気分も良くして、香川を横断し愛媛に入り一気に高知入り。

 

高知市で高速を降りて一般道を仁淀川町へ。

 

山が深くて田舎の雰囲気、でもとてもよい感じ。

 

そして15時仁淀川町役場着。
思えば遠くにきたもんだ!

 

仁淀川町を流れる仁淀川はその美しさで有名です。

 

出典 
『高知県のほぼ中心を流れる仁淀川は、西日本最高峰の石鎚山に源を発し、
 124kmに渡って土佐湾に流れ着く、四国3大河川の一つです。
 国土交通省が発表する「水質が最も良好な河川」に過去10年で8回も
 選ばれています。

 

 そのリゾート地の海辺を思わせるような透明度、エメラルドグリーンとも
 ターコイズブルーとも呼べるような「青」の美しさをネイチャーカメラマンの
 高橋宜之氏が「仁淀ブルー」と呼び始め、
 その名が知られていったと言われています。』

 

16時30分役場にて町長を表敬訪問。

 

「武田勝頼土佐の会」による講演会参加する愛媛大学教授、お二人の小説家、
真田忍者の統領などなど役者がいっぱい。

 

層々たるメンバーです。

 

 

明日の後援会がとても楽しみです。

 

そして、宿泊の山林林間楽校しまなの郷へ。
超山間の狭い道を約10km走行。

 

 

 

山間の小学校を宿舎にしています。

 

烏の行水をしていよいよ待ちに待った夕食。

 

ご覧ください。

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

山の幸、川の幸、海の幸の御馳走。
そして目の前にある地ビール場で作られた地ビールとヤマメの骨酒。

 

全ての料理とお酒に素朴の中にも深い味わいがあります。

 

メンバー皆さんの一言
「弾丸ツアーだけど来て良かったね。」

 

 

そして、部屋に戻り、2次会。

 

あっという間に一升空けてしまい・・・

 

明日が本番なのに・・・ まっいっか!

 

こうして、南国土佐紀行 車による弾丸ツアー1743kmの旅 1日目
は過ぎていきましたとさ。

 
 

2日目 3月11日 関連史跡調査と講演拝聴、懇親会参加 

3月10日(金)〜12日(日)に四国高知県仁淀川町の「武田勝頼土佐の会」
による後援会参加と史跡巡りのため車による弾丸ツアーを実施しました。

 

今回のブログは2日目。
史跡巡りと「武田勝頼土佐の会」による講演会ついての報告です。

 

3月11日(土)

 

まず最初に「武田勝頼土佐の会」が作成した武田勝頼物語のガイドブックから
勝頼が仁淀川町に落ち延びてきた様子とその根拠について紹介します。

 

『「3+1」の系図について
 1番、大崎八幡宮代々の神官、岡林家に伝わる武田家系図
 2番、佐川町の武田家の末裔山崎氏、の分家に伝わる武田家系図
 3番、     同上      、嫡流に伝わる武田家系図
 十1、大崎八幡宮歴代神主、の岡林家に伝わる神主系図

 

 

武田信玄の四男である甲斐武田家頭首「武田四郎勝頼亅(伊那四郎・諏訪四
郎神勝頼ともいう)は、定説では天正10年(西暦1582年)3月11日山梨天目山で
自害、武田家は滅亡したと言われています。

 

しかし、仁淀川町では、当時の土佐の武将・長宗我部家を頼って土佐に落延
び山田大法寺に入る、続いて池川村安居に入り、その後大崎村下大崎(寺村)、
川井土居(現仁淀川町大崎)に出現、名前を「大崎玄蕃(おおさきげんぱ)尉」と
変名し、この地で26年ほど活躍し、慶長14年(西暦1609年)8月25日64歳で
逝去され、土居屋敷(鴫王神社)に葬ると、また柿の木の元に葬ると記録
(仁淀川町及び佐川町に残る武田家系図に記載)があります。

 

また、この仁淀川町周辺には一族の墓所を含めて多くの史跡や物証等が残さ
れており、その他今に伝えられてきた「玄蕃おどり」や「玄蕃太鼓」などの地域
芸能も残されています。』

 

『最後に
推測でしかない事ですが、武田勝頼が此の地に落ち延び大崎玄蕃と名を変えて
住み着いた話は、信憑性は高いと信じてやまないですが研究が待たれます。
この物語、作り話ではありません、昔の事は誰にも確証は出来ませんが、
ロマンが有っても良いのでは無いでしょうか。』

 

「武田勝頼土佐の会」は武田勝頼がこの地に落ち延び大崎玄蕃と名のって
活躍し、家族も存在していたことを熱く語っています。

 

午前中、勝頼公のお墓、大崎八幡宮、その他、関連する史跡を廻りました。

 

 

 

 

そして、午後は、真田忍者の講演と演武、「武田勝頼土佐の会」会長の講演、
そしてパネルデイスカッションが行われました。

 

 

 

先ず、忍者の真田忍者研究会会長伊与久松ヮ≠フ講演と演武は素晴らしい
ものがありました。

 

忍者の末裔ということもあって独特の雰囲気を持った方で魅力的です。

 

真田忍者研究会 錬誠館

 

「武田勝頼土佐の会」岡林会長は大崎八幡宮の前宮司24世であり、
役場の教育長を歴任し、系図によると勝頼公の末裔に当たります。

 

「武田勝頼土佐の会」

 

講演は熱く濃いものであり、大崎玄蕃は実在したと言い切っています。

 

 

 

そして圧巻だったのがパネルデイスカッション。

 

愛媛大学教授、2人の歴史小説家、真田忍者、小山田信茂公顕彰会会長、
武田勝頼土佐の会会長という顔ぶれです。

 

特に印象的だったのは、明智光秀は本能寺の変の前に何回も四国を訪れていて、
最終的に本能寺の変は武田勝頼を四国に移動するためのものであったという説
のお話がありました。

 

また、坂本龍馬は明智光秀の末裔だったという説もあります。

 

これにはびっくり!

 

今後、是非、関連資料を読みたいと思います。

 

ほんと、歴史はロマンですね。

 

そして講演会の後、懇親会が行われ、土佐の鰹と日本酒をたくさんいただきました。

 

 

 

ここではいろいろな方との交流ができ、今後更にお付き合いを深めたいと思います。

 

 
 

3日目 3月12日 しらなみ海道、岡山経由の移動

3月10日(金)〜12日(日)に四国高知県仁淀川町の「武田勝頼土佐の会」
による後援会参加と史跡巡りのため車による弾丸ツアーを実施しました。

 

今回のブログは3日目。
帰路885km、8時30分出発→20時55分着12時間25分のひたすら走る旅です。

 

3月12日(日)

 

朝、仁淀川町観光センター秋葉の宿(元小学校)に宿泊し、懇親会後の2次会で
すっかり飲み過ぎて、6時30分起床。

 

窓を開けると山と川とダムの素晴らしい景色ときりっとした空気に心身復活。

 

 

二日酔なれど腹は大きく減っていて、朝からお茶碗大盛2杯をいただきました。

 

 

その後、荷作りも完了し、8時30分宿舎の前で記念撮影をして出発進行!

 

今日のルートは
・仁淀川町〜今治   一般道
・今治〜尾道      しまなみ海道(高速)
・尾道〜神戸       山陽道(高速)
・神戸〜名古屋     新名神(高速)
・名古屋〜静岡     新東名(高速)
・静岡〜甲府       中部縦貫道(高速)
・甲府〜大月       中央道(高速)

 

 

先ずは、しまなみ海道入口の愛媛県今治まで一般道を走ります。

 

四国固有の山深い地形で景観を十分楽しむことができました。

 

そして今治、サービスエリアで今治タオルやお菓子などお土産を買って
いよいよ、しまなみ海道60kmを走ります。

 

 

インタネットより
『瀬戸内海に浮かぶ島々を7つの橋で結んだ「瀬戸内しまなみ海道」。
 青い海、緑豊かな島、美しい橋が織り成す風景に息をのみ、
 島に暮らす人々との触れ合いに感動!
 瀬戸内海の多島美が一望できる絶景スポット、村上海賊ゆかりの地を巡る旅、
 季節の花々を感じる島など、豊かで贅沢な時間が過ごせます。』

 

 

当日は霧により霞んでいましたが、それでも海と島の橋が織り成す景色は最高でした。

 

今まで見たことのない別世界のようでした。

 

 

そしていよいよ尾道を通過して山陽道を神戸に向かって進みます。

 

途中、岡山の吉備サービスエリアで昼食。

 

ここで食べた黄ニララーメンは超最高でした。

 

麺は細麺で黄ニラやチャーシューとよく絡み、あっさりした醤油ベースの中華そばです。
岡山の高級食材をふんだんに使用した贅沢な一杯でした。

 

 

そして、運転を2人の方に交代してもらって静岡へ。

 

静岡からは新東名を左折して新しく開通した中部縦貫道で甲府へ。

 

途中、南部で山梨県に入ると歓声が上がりました。

 

甲府からの中央道は庭みたいなもんでしたが、最後の最後、安全運転で。

 

そしてそして8時55分大月の会長宅に無事到着しました。

 

本日の走行距離帰路885km、12時間25分のひたすら走る旅でした。

 

お疲れさまでした、ご苦労様でした。

 

こうして、南国土佐紀行 車による弾丸ツアー1743kmの旅は無事終わりました。

 

3日間内容の濃い素晴らしい旅でした。

 

長距離走行、四国観光、武田勝頼土佐の会との交流.歴史探訪、高知料理とお酒堪能、
しまなみ海道初走行・・・・・。

 

そして、大月小山田信茂公顕彰会メンバー6名の結束が一段と強まった旅でありました。

 

 
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